八幡山で雪遊び 本編②

TaKa

2008年02月27日 13:00


 2月24日、八幡山へ雪遊びに行ってきました。序編は こちら から、本編①は こちら からどうぞ。

 八幡城址でおそらく1番眺望の良い西の丸跡、そこそこの広さもありますので、ここでちょいと雪遊びをすることに。

 そんで出来上がったのが、雪のベンチ。子供は何やら背部にマーキングしておりましたw

 雪遊び後は、本丸跡へ向かいます。写真右手斜面の上、山頂部付近に本丸跡があります。

 旧八幡城の石垣も、そちこちに沢山残っています。

 現在、本丸跡には日蓮宗瑞龍寺が建っています。山門奥は枡形になっており、おそらく旧八幡城の門もここに設けられていたでしょう。

 八幡城主だった豊臣(羽柴)秀次は、1590(天正18)年に尾張清洲城へ移った翌年、豊臣秀吉の長男鶴松夭折後秀吉の養子になり関白となります。しかし秀吉の妻妾淀君に捨丸(豊臣秀頼)が生まれ、その立場は微妙なものとなり、1595(文禄4)年秀吉により高野山へ追放され、出家するも切腹を命じられてその生涯を終えました。秀次の母であり秀吉の姉でもある日秀が、1596(文禄5)年に後陽成天皇から京都西陣村雲の地を賜り、秀次の菩提を弔うため創建したのが瑞龍寺です。代々尼宮が住持する日蓮宗唯一の門跡寺院で、村雲御所とも称されました。1961(昭和36)年に秀次居城の縁を以って、八幡山八幡城址本丸跡に移築・移転してきました。

 ちなみにこの移転の立役者は、滋賀県出身で西武グループの創業者堤康次郎です。康二郎は、1942(昭和17)年に近江鉄道を傘下に収め、1944(昭和19)年には八日市-近江八幡間を走る八日市鉄道を吸収します。瑞龍寺移転とともに建設された八幡山ロープウェイも近江鉄道グループです。堤康次郎は、戦後落ちぶれた宮家や華族の財産に目を付け、これらを買収してそのあとの多くにプリンスホテルを建てたり、観光事業を行ったりしています。尼門跡寺院である瑞龍寺移転も、小規模ながらこうしたやり方の1つなのでしょう。

 さてここ瑞龍寺境内からは、近江八幡市街西側から三上山辺りを見渡すことが出来ます。写真右手上の山が三上山です。標高約430メートル。別名近江富士と呼ばれます。見る角度によってはなるほどといった感じに見えますよ。写真中央やや左手に我が家も写ってるはずですw

 山上には2時間弱ほどいて下山しました。下の写真は山上のロープウェイ駅ホーム先端から撮影したもの。近江八幡市街を一望するならここが1番いいようです。

 嫌がる連れ合いと子供を連れ出しての散策でしたが、なんとか山上からの景色もみることが出来ましたし、そこそこ非日常的な積雪歩きも楽しめました。子供に来て良かったかって聞くと大きく頷いていましたので、多分良い体験になったのでしょう。今年はもう無理かもしれませんが、今度は是非とも麓から徒歩で雪の中を山上まで登りたいものです。



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