2007年11月29日
ミニ霊場巡り
お遍路さんで知られる四国八十八箇所霊場巡りですが、こうした巡礼地は全国にあります。四国八十八箇所は弘法大師霊場ですが、他に観音菩薩霊場や薬師如来、不動明王霊場などがあります。関西では西国三十三箇所観音霊場や西国四十九薬師霊場などがあり、滋賀県でも近江西国三十三箇所観音霊場などがあります。
霊場を巡礼する行為は古くからありましたが、一般大衆化するのは江戸時代に入ってからです。現世利益の風潮とあいまって全国に多くの巡礼地が誕生しました。
こうした霊場巡り、一国単位のものでも回るとなれば数日を要します。大規模なものともなれば数ヶ月はかかり、費用も労力も大変なものです。いくら大衆化したとはいえ、そうそう庶民が気軽に回れるものではありません。そこであまねく人々に結願(霊場のすべてを回りきること)の利益を施そうという施設が考え出されました。寺の裏山などに祠や石仏を配し、そこにすべての霊場をそれぞれ勧請(神仏の分霊を請じむかえること)するという、霊場巡礼地のミニチュア版です。
京都では、御室仁和寺の西門を出た裏山にある御室八十八箇所霊場めぐりが有名です。四国八十八箇所霊場を勧請したもの。私も学生の頃、2度ほど回ったことがあります。順路にそってお堂が点在し、京都市街地や東山、西山が一望できるハイキングコースといった趣きです。行程2時間弱くらいでしょうか。
最近、自宅近くの願成就寺にこうしたミニ霊場巡りがあるのを発見。先日行ってみました。
場所はこちら ↓
こちらのお寺自体、近江湖東二十七名刹霊場の二十一番札所でもあります。願成就寺の沿革は、参道入口に立っていました案内板でどうぞw

案内版ではちょっと意味が取りづらいですが、現在地は観音山と通称される山で八幡山の一部ということでしょうか。現在この観音山と北側の八幡山とはつながっていないのですが、八幡堀が出来る前はつながっていたのかもしれません。
参道石段下に、四国八十八箇所霊場と彫られた石柱が立っています。

この右側の石段を登った左手に一番阿波霊山寺を勧請した石造物があります。祠を模し本尊と大師像を彫り付けたものですね。

最初気づきませんでした。まあ裏山だろうということで、本堂周りには目も呉れず山に。途中から回ることになってしまいました^^;
左端が一番です。

あとはこのように、狭い意味での境内とその周囲に十九番までの石仏がありました。
上の写真右端にちょこっと写っているのは鐘楼です。
近づいて手を伸ばして梵鐘の銘文を接写してみると、
慶長拾六辛亥年 とあります。江戸時代初期の物ですね。
中世以前の古鐘と呼ばれる梵鐘は現存するものが少ないのは勿論ですが、江戸時代の梵鐘も、鋳造されたであろう数から比して、現存するものがかなり少ないんです。何故かといいますと、第二次世界大戦中の物資不足の折に、古鐘を除いて国に供出されてしまったんです。現存するものは、なんらかの理由で供出されなかったか、供出されても倉庫で眠っていたり、鋳潰される前に戦争が終わって返還されたりしたものなんです。試しにお近くの寺の梵鐘を見てください。多くは戦後に鋳造されたものだと思います。こんなとこにも戦争の爪跡が残っているんですね。
さて長くなりました^^; 本堂左手奥の二十番から裏山に入ります。
こんな感じの雑木と竹の林の道に

点々と石仏が現れます。

石仏は少し離れてる場所もありますが、ほとんどはこのように目に見える近くに点在しています。
道は、落ち葉が降り積もってていて、急な坂などでは足が滑ります。最近スコップで段をつけたような場所もありましたが、後半にはありませんでした。そう広くは無い山内に60箇所以上の石仏を配していますので、道は迷路のように入り組んでいて、なかなか順番どおりにいけませんw
四十五番伊予岩谷寺の左手の道を上がると、開けた所に出ます。山内開けた場所はここ1箇所です。


実はこの山という丘というか、北側から見ると

無残に削り取られています>< 上右の写真の道を抜けたとこが、この写真右真ん中上の林の先になります。
眺望はこんな感じ。




お! こうやって並べてみるともうちょっとでパノラマになったのか~。惜しい>< 左から、比叡山方面・比良山地方面・八幡山・西の湖方面を向いて撮影したものです。なかなか良い眺め。今度準備してきてお茶しようかなw
しばしたたずんで、残りの道を行きます。途中栗拾ったり、こんなとこを

を抜けたりしていくと、なにやら蜂の群れが>< かなり大きいです。引き返そうかとも思ったんですが、なんとか無事通過。家に戻ってから調べてみたところ オオスズメバチ らしい。活動低下してる時期でほんとよかった^^;
そうこうしながら八十六番まで発見して、二十番付近の入口辺りに戻ったんですが、八十七番と八十八番が見つからない;; あちこち探したんですが、結局見つからず仕舞いでした。
山内でも見つからないところがいくつかあったんですが、戻ってきて判明。伽藍(寺の建物)のある境内にありました。どうやら元に位置から崩落したもの境内においてあるみたいです。またここで思い付いたんですが、若しかすると88箇所元々は、削り取られた場所の方にも配してあって、配置しなおしたのかもしれません。今の配置がちょっとごたごたし過ぎのような気がしますので。
案内板に所要時間1時間30分とありましたが、写真取ったり栗拾ったりしながらでも小一時間でした。案内板の時間はちゃんと巡拝しながらの時間なのでしょう^^;
こうしたミニ霊場、くぐってみると結構ひっかりますので、全国各地にかなりありそうです。キャンプにはちと寒いこの時期、お近くにあるようでしたら、お散歩がてら行ってみてはいかがでしょうか。最近、信仰だけでなく自分探しやトレッキング感覚で霊場巡りをする方が増えて、ちょっとしたブームになっているそうです。今ファミリーキャンプしてる人たちが熟年になるころ、巡礼キャンプなんてものがポピュラーになってるかもしれませんねw
(おまけ)
もっとミニマムな霊場、栄螺<さざえ>堂(=三匝<ささい もしくは さんそう>堂)ってご存知でしたか。勧請仏を一山どころか一堂に納めた建物です。
くわしくは こちら でどうぞ。
ここ一度行ってみたいと昔から思ってるんだけど、遠いんだよなぁ~><
霊場を巡礼する行為は古くからありましたが、一般大衆化するのは江戸時代に入ってからです。現世利益の風潮とあいまって全国に多くの巡礼地が誕生しました。
こうした霊場巡り、一国単位のものでも回るとなれば数日を要します。大規模なものともなれば数ヶ月はかかり、費用も労力も大変なものです。いくら大衆化したとはいえ、そうそう庶民が気軽に回れるものではありません。そこであまねく人々に結願(霊場のすべてを回りきること)の利益を施そうという施設が考え出されました。寺の裏山などに祠や石仏を配し、そこにすべての霊場をそれぞれ勧請(神仏の分霊を請じむかえること)するという、霊場巡礼地のミニチュア版です。
京都では、御室仁和寺の西門を出た裏山にある御室八十八箇所霊場めぐりが有名です。四国八十八箇所霊場を勧請したもの。私も学生の頃、2度ほど回ったことがあります。順路にそってお堂が点在し、京都市街地や東山、西山が一望できるハイキングコースといった趣きです。行程2時間弱くらいでしょうか。
最近、自宅近くの願成就寺にこうしたミニ霊場巡りがあるのを発見。先日行ってみました。
場所はこちら ↓
こちらのお寺自体、近江湖東二十七名刹霊場の二十一番札所でもあります。願成就寺の沿革は、参道入口に立っていました案内板でどうぞw
案内版ではちょっと意味が取りづらいですが、現在地は観音山と通称される山で八幡山の一部ということでしょうか。現在この観音山と北側の八幡山とはつながっていないのですが、八幡堀が出来る前はつながっていたのかもしれません。
参道石段下に、四国八十八箇所霊場と彫られた石柱が立っています。
この右側の石段を登った左手に一番阿波霊山寺を勧請した石造物があります。祠を模し本尊と大師像を彫り付けたものですね。
最初気づきませんでした。まあ裏山だろうということで、本堂周りには目も呉れず山に。途中から回ることになってしまいました^^;
左端が一番です。
あとはこのように、狭い意味での境内とその周囲に十九番までの石仏がありました。
上の写真右端にちょこっと写っているのは鐘楼です。
近づいて手を伸ばして梵鐘の銘文を接写してみると、
中世以前の古鐘と呼ばれる梵鐘は現存するものが少ないのは勿論ですが、江戸時代の梵鐘も、鋳造されたであろう数から比して、現存するものがかなり少ないんです。何故かといいますと、第二次世界大戦中の物資不足の折に、古鐘を除いて国に供出されてしまったんです。現存するものは、なんらかの理由で供出されなかったか、供出されても倉庫で眠っていたり、鋳潰される前に戦争が終わって返還されたりしたものなんです。試しにお近くの寺の梵鐘を見てください。多くは戦後に鋳造されたものだと思います。こんなとこにも戦争の爪跡が残っているんですね。
さて長くなりました^^; 本堂左手奥の二十番から裏山に入ります。
こんな感じの雑木と竹の林の道に
点々と石仏が現れます。
石仏は少し離れてる場所もありますが、ほとんどはこのように目に見える近くに点在しています。
道は、落ち葉が降り積もってていて、急な坂などでは足が滑ります。最近スコップで段をつけたような場所もありましたが、後半にはありませんでした。そう広くは無い山内に60箇所以上の石仏を配していますので、道は迷路のように入り組んでいて、なかなか順番どおりにいけませんw
四十五番伊予岩谷寺の左手の道を上がると、開けた所に出ます。山内開けた場所はここ1箇所です。
実はこの山という丘というか、北側から見ると
無残に削り取られています>< 上右の写真の道を抜けたとこが、この写真右真ん中上の林の先になります。
眺望はこんな感じ。
お! こうやって並べてみるともうちょっとでパノラマになったのか~。惜しい>< 左から、比叡山方面・比良山地方面・八幡山・西の湖方面を向いて撮影したものです。なかなか良い眺め。今度準備してきてお茶しようかなw
しばしたたずんで、残りの道を行きます。途中栗拾ったり、こんなとこを
を抜けたりしていくと、なにやら蜂の群れが>< かなり大きいです。引き返そうかとも思ったんですが、なんとか無事通過。家に戻ってから調べてみたところ オオスズメバチ らしい。活動低下してる時期でほんとよかった^^;
そうこうしながら八十六番まで発見して、二十番付近の入口辺りに戻ったんですが、八十七番と八十八番が見つからない;; あちこち探したんですが、結局見つからず仕舞いでした。
山内でも見つからないところがいくつかあったんですが、戻ってきて判明。伽藍(寺の建物)のある境内にありました。どうやら元に位置から崩落したもの境内においてあるみたいです。またここで思い付いたんですが、若しかすると88箇所元々は、削り取られた場所の方にも配してあって、配置しなおしたのかもしれません。今の配置がちょっとごたごたし過ぎのような気がしますので。
案内板に所要時間1時間30分とありましたが、写真取ったり栗拾ったりしながらでも小一時間でした。案内板の時間はちゃんと巡拝しながらの時間なのでしょう^^;
こうしたミニ霊場、くぐってみると結構ひっかりますので、全国各地にかなりありそうです。キャンプにはちと寒いこの時期、お近くにあるようでしたら、お散歩がてら行ってみてはいかがでしょうか。最近、信仰だけでなく自分探しやトレッキング感覚で霊場巡りをする方が増えて、ちょっとしたブームになっているそうです。今ファミリーキャンプしてる人たちが熟年になるころ、巡礼キャンプなんてものがポピュラーになってるかもしれませんねw
(おまけ)
もっとミニマムな霊場、栄螺<さざえ>堂(=三匝<ささい もしくは さんそう>堂)ってご存知でしたか。勧請仏を一山どころか一堂に納めた建物です。
くわしくは こちら でどうぞ。
ここ一度行ってみたいと昔から思ってるんだけど、遠いんだよなぁ~><
Posted by TaKa at 15:00│Comments(0)
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